紀美野町の山の尾根。
広がるみかん畑に囲まれた場所にあるパン屋「ドーシェル」は、
いまでは町の顔のひとつみたいな人気店。
テラスからは、みかん畑の向こう側に海がさざめき、
和歌山の自然を凝縮したような美しい景色が広がる。
最初は「有名な店をつくろう」とか、そういう理想から始まったわけではなかった。
話を聞いていくと、いちばん最初にあったのは、もっと生活に近い、暮らしのリアルだった。
小さな変化と挑戦を続けながら、今日も「普通のパン屋」を営んでいる。

紀美野町の山の尾根。
広がるみかん畑に囲まれた場所にある
パン屋「ドーシェル」は、
いまでは町の顔のひとつみたいな人気店。
テラスからは、
みかん畑の向こう側に海がさざめき、
和歌山の自然を凝縮したような
美しい景色が広がる。
最初は「有名な店をつくろう」とか、
そういう理想から始まったわけではなかった。
話を聞いていくと、いちばん最初にあったのは、
もっと生活に近い、暮らしのリアルだった。
小さな変化と挑戦を続けながら、
今日も「普通のパン屋」を営んでいる。

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【ドーシェル】
戸田 晶 / パン職人

移住歴28年

和歌山県海南市出身

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【ドーシェル】
戸田 恵以子 / カフェ・料理担当

移住歴28年

大阪府大阪市出身

家族でできる仕事を求めて
新しく自分たちのお店を始めた宝塚時代

家族でできる仕事を求めて
新しく自分たちの
お店を始めた宝塚時代

─ 本日はよろしくお願いいたします。

まず、ドーシェルを始めるきっかけからお聞きできればと思います。最初のお店は、宝塚で始まったんですよね?


戶田恵以子(けいこ) :そうです。1989年ですね。5月の末に入籍して、その年にお店をオープンしてるんです。結婚と同時に店を始めた、みたいな感じです。


─ お二人は、最初からパンの仕事をされてたわけではなかったんですか。


戶田晶(あきら) :僕は、大学を出てから京都で織物関係の仕事でサラリーマンをしてたんです。問屋さんを回るような仕事ですね。で、自分が住んでた近くにパン屋さんがあって、それを見て「家族でできる仕事をしたい」と思ったんよね。パンが大好きで、というより「家族でなりわいにできる仕事がしたい」っていうのが先やった。


─ なるほど。「家族でできる仕事」という働き方の方に興味があったんですね。


恵以子 :
そうです。主人は飲食なんかしたことないし、たぶんアルバイト経験もあまりなかったと思うんですけど、大阪のパン屋さんに「雇ってください」って行ったみたいで。そこが親切なパン屋さんで、「うちは無理やけど」って別のパン屋さんを紹介してくださって。それで「メルク」というパン屋さんで2年か3年くらい。あと東京の天然酵母や国産小⻨のパン屋さんも、ちょこちょこ見せてもらいに行ったりしてました。


─ 恵以子さんは、その頃はまだ別のお仕事をされてたんですか。


恵以子 :私も会社勤めしてました。大阪の福島で働いてて、パンは食べるのは好きでしたけど、いまもそんなに作るのは手伝えないです。(笑) 私は、お店ではパンではなくランチの料理を担当しています。

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店の2階で暮らしながら

子育てと商いを続けた宝塚の8年

店の2階で暮らしながら
子育てと商いを続けた宝塚の8年

─ 1989年に宝塚で今の前身となるパン屋「ドーシェル」を開いたわけですが、そこはどんな店だったんですか?

 

晶:繁華街の中ではなく周りは住宅だらけの、いわゆる住宅街で始めました。店舗付き住宅で、上に住んで下で店して。ほんまに狭かったですよ。その頃はパンの販売だけやっていました。カウンターに椅子を二つ置いてたんですけど、ドリンクの提供があるわけでもなくて、馴染みのお客さんがちょっと座ってしゃべって帰る、みたいな街のパン屋でした。子どもができる前なんか、もう合宿生活みたいで、二階は布団敷きっぱなし、下に降りて作業場で三食食べる、みたいな暮らしでした。

 

─ そこからお子さんも生まれて。

 

恵以子さん:はい。お店を始めて3年目に上の子が生まれて、下の子がさらに3年後に。だから、宝塚では店をしながら子育てしてました。上が住まいなんで、泣いたら聞こえるようにしておいて、下に降りてサンドイッチ作ったりとか。誰もいない時は、子ども抱いてレジ打ちしたこともあります。パンを袋に入れられないから、お客さんにちょっと抱いててもらったり。(笑)ベビーカーを店のど真ん中に置いてたこともありましたし、ほんまに、「なんとかやっていた。」という感じでした。お店の上と下がつながってるから何とかやれた、という感じですね。

 

─ 宝塚では何年くらい続けられたんですか。

 

晶:8年くらいです。上の子が小学校に入るタイミングで、こっちへ引っ越して来ました。

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移住当時の様子

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田舎を探してたどり着いた
みかん畑だった「山も海も見える場所」

田舎を探してたどり着いた
みかん畑だった
「山も海も見える場所」

そこから、現在の会社を設立することになるんですね。

 

晶:もともと「もうちょっと田舎に行きたいな」っていうのはあったんですよ。宝塚も悪くはなかったけど、なんとなく、ずっとそこにいる感じではなかったかな。

宝塚のドーシェル8年目に、紀美野町隣の海南市に住んでいる母親が体調を崩したり、阪神淡路大震災が起きた。そして、上の子も小学校に上がるタイミングだったので、そろそろ次の場所を探そうかってことになって。

 

恵以子:別に最初から和歌山に決めてたわけではなくて、漠然と「どっか田舎で」って感じでした。主人が隣の海南市出身で、私は大阪の福島出身なんですけど、お母さんのこともあって主人の地元に近い方がいいかなってことで、和歌山に絞ろうって決めました。

 

─ でも、紀美野町のドーシェルが建っている場所って、もともとはみかん畑で、当時はお店なんか周りに一軒もない場所。

かなり思い切った場所ですよね。

 

晶:どうせ田舎に行くなら、中途半端な田舎じゃなくて、自然に囲まれた思いっきり田舎が良いなと思っていた。いくつか候補はあったんやけど、土地探しのためにこの辺りをバイクで走り回っていた頃に、たまたまここの地主さんを紹介してもらって。

後日、宝塚時代にお店の内装をしてくれた人が一緒に土地を見に来てくれたとき、「和歌山でお店をやるんやったら、山も海も、両方見えるような場所がええんちゃうか」って言ってくれたんよ。その一言がすごく後押しになって。「もう、ここでやってみるか。」って。僕ひとりやったら、ここは決められへんかったと思う。

 

恵以子:私は最初、なんとなく川べりみたいな場所でお店をやるイメージがあったんです。でもここを勧められて。当時は周りにみかん畑しかないから、道も今よりずっと狭い農道しかなく、砂利道やったんですよ。私は車の運転が苦手で、子どもができて保育所へ通わすために免許を取ったような感じやったから、「これ私、無理。」って思いました。(笑)

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山の上での開業は手探りの連続
それでも少しずつ店の形になっていった

山の上での開業は手探りの連続
それでも少しずつ
店の形になっていった

─ たしか1998年に、いまの場所で新しくドーシェルが始まるんですよね。

 

恵以子:そうです。1998年。みかん畑の真ん中に、お店兼住居の建物を建てて。でも最初から今みたいなスペースがあったわけではなくて、もっと小さい空間でした。席も4席か5席くらい。テラスはオープンで、ガラスも入ってなくて、雨が降ると大変でした。

そこから少しづつ増築したりして、今の店の形になっていきました。

 

─ 宝塚時代はパンの販売だけでしたが、紀美野町に来てからは最初からランチもやってたんですか?

 

晶:やってたね。せっかくこんな遠いとこまで来てもらうんやったら、パン買うだけやなくて、ちょっと店内で食べたりお茶飲んだりできないと、なかなか来てもらわれへんやろ、と思って。

 

恵以子:私自身はその頃コーヒーも飲めなかったんで、「お茶だけでいいんちゃうか?」とか思っていたくらいで、ランチもほんまに手探りでした。今はワンプレートですけど、最初はスープだけ持って行って、あとからメインを持って行って、みたいな感じで。誰かに教わったわけでもなくて、自分で試行錯誤しながら形にしていきました。

 

─ 色々と手探りで新しいお店の形を模索していったわけですね。来客はオープン当初から順調だったんですか?

 

恵以子:いや、ぼちぼちやったと思います。ものすごく暇でもなかったけど、今みたいにずっと忙しいわけでもなくて。

けど、お店を始めてわりとすぐの頃、大きな台風が来て窓が吹き飛んだんですよ。(笑) たまたま休みの日で、仕込みなどでスタッフが何人かいて、最初はみんなで窓を押さえてたんですけど、「これは危ない!」って引っ込んだ途端に、パーンって吹き飛びました。自然の中で暮らしていくことの洗礼を受けましたね。こういう場所でお店を始めることに、「いいんじゃない。」って応援してくれる人もいれば、「こんな場所で難しいんじゃない?」っていう人もいて賛否両論でしたから。「ほら、こんなところにお店なんて建てたから」って思った人もいたと思います。

 

─ お店を始めてすぐに、大変な状況ですね。。

 

恵以子:でも、台風が来て窓が飛んでから割とすぐだったかな。テレビが取材にきて、「食を形づくる人たち」みたいなテーマでTVで取り上げてくれて。その反響がすごくて、やっとお客様がたくさん来てくださるようになって。やっぱりテレビの影響ってすごいな、と思いました。

 

晶:あれは大きかったね。街中でやっていたら埋もれてたと思うけど、「こんな山の上でパン屋をやってる」っていうのが逆に目立ったんやと思う。

 

恵以子:今のランチは多くて45食くらいですけど、一番出た時は100食を超えたことがあります。今思ったら、ようそんなに準備できていたなと思います。お客さんが10組以上も、1時間近く待ってくださってたこともあって。その頃、この辺にまだ店が少なかったのもあると思うんです。「せっかくここまで来たんやから、待ってでもなにか食べて帰ろう」って思ってくださったんやと思います。地元の方々にもたくさん応援してもらいました。

 

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オープン当初のお店の様子

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オープン当初のお店のテラスにて

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町に馴染み、店の形も少しずつ育っていった
人が集い、人が育つ場所に

町に馴染み、
店の形も少しずつ育っていった
人が集い、人が育つ場所に

─ 宝塚の時と、こっちへ来てからでは、周りの反応も違いましたか?

 

晶:違ったね。宝塚の時は、全然ゆかりのない土地に行ったから。下町の、昔から住んではる人が多い地域やったんで、8年いても「よそから来た人」みたいなところはあったかな。周りで飲食のお店やってる人らは理解があったし温かかったけどね。

でも、こっちではすぐに受け入れてくれた感じがありました。僕が海南市出身なのもあって、父のことを知ってくれてる人もいて「あそこの息子さんやな。」みたいな感じであたたかく受け入れてくれて、すんなりと地域に馴染むことができましたね。

 

─ お子さんたちも、こっちへ来てからすぐに新しい学校生活が始まったんですよね。

 

恵以子:そうです。上の子が小学校一年生の時に来たので、最初は心配でした。お店のある山の上から、学校のある谷沿いまで30〜40分かけて歩いて行ってたんですよ。最初は途中まで迎えに行ったりもしましたけど、だんだん慣れていって。

大人でもそこそこ大変やのに、小さい足でよう歩いたなと思います。走るのはそんなに速くなくても、歩くのは強くなりますね。だから、子どもの靴の減りがすごかったです。(笑)

─ 生活そのものが、町に慣れていく時間でもあったんですね。いま住んでる地区には、若い世帯もいるんですか?

 

晶:僕らが住んでいる国木原というところには、今は若い世帯はあまりいないんです。50代から80代くらいの世帯が中心で。でも、とても抜けの良い景色の場所で、それぞれが自由に自分たちの生活を楽しんでいる雰囲気があって、とても気に入っています。

 

恵以子:普段べったり交流するわけではないですけど、お店をしているので気遣ってもらっています。若い人たちにもこの地区に移住してきてもらえたら、また新しい流れができてくるのかなと思いますけどね。

 

─ お店の方も、今では“自分たちの形”ができてきた感じですか。

 

恵以子:でも、ずっと同じ形ではないですね。子どもが小さい時はその忙しさがあったし、大きくなったらまた別の忙しさがあったし。店は同じようにあっても、生活のスタイルがその時々で変わってきたので、それに合わせてこっちも変わっていった感じです。

でもうちは長く働いてくれてる人が何人もいて、長い人はもう二十年以上です。最初の頃に、お店を知ってもらうきっかけとしてパン教室をやったことがあるんですけど、そこに来てくれた人がいまも働いてくれています。

あとは店に食べに来てくれてた人が、「ここで働けるんですか」って言って来てくれたり。求人サイトみたいなのはあまり使わず、結局お店を知ってる人が来てくれることが多かったですね。

 

─ ドーシェルには、ここで修行したのちに、独立した方が何人もおられると聞きました。

 

晶:和歌山で四人くらいいます。最初から「独立したいです」って入ってくる人もいました。パン屋って、早起きで働く時間も長くて、体力的に厳しい。だから、そういうモチベーションがないと、なかなか続かへん仕事やと思います。

だから、独立するつもりでここで働きたいって、それくらいのモチベーションでドアを叩いてくれるのはうれしいですよ。独立した人達とは、今でも交流があり、それぞれ自分たちのスタイルでパン屋を続けてくれていて、僕もうれしいですね。

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仕事のなかに新しい挑戦と楽しみを
変わり続けるから続いていく

─ ドーシェルには、ハード系のパンから甘いパンまでいろんな種類がありますよね。

 

晶:うちはとにかく、国産小麦を使った町の“普通のパン屋”を目指してる。子供からお年寄りまで、誰でも食べたいパンがある普通のパン屋。ハード系だけにするんやったら、それはそれでやり方があるけど、子どもが食べられるパンがないと楽しくないやろうし、菓子パンもある方がいい。いろんなパンがあって、その中で基本のハード系もしっかりある、という感じです。「気軽に食べたいパンを買いに行けるパン屋が町にある」ということを、とても大切にしています。

 

恵以子:私は、食事パンを大事にしてもらいたいかなと思ってます。朝食でも昼食でも夕食でも、なんか添えられるパン。主役にもなるけど、暮らしの中にちゃんと入っていけるパン、というか。ハード系のパンも、食卓でどう食べるかまで想像してもらえたらうれしいですね。

 

─ パンを三十年以上つくり続けてきて、こんなことを聞くの失礼ですが。。飽きることはないんですか?

 

晶:飽きないね。軸となるレシピは決まっていても、毎回ちょっとだけ変えるんよ。配合を少し変えたり、時間をちょっと変えたり、水の入れ方を数パーセント変えたり。小麦粉も季節で違うし、乾燥してたり湿気が多かったりで、状態が毎回違うから。ミキサー回して、生地を見て、今日はこうやなって決める。その「どうなるかな」っていうのが面白いんです。

 

─ 晶さんは現在も毎日、朝一から現場に入るんですか?

 

晶:そう。朝の2時前後から入って、昼までずーっと焼き上げて、片付けして、次の日の仕込みをして、16時くらいに終わる感じかな。それを木金土日の四日間。火曜と水曜はもう少し遅くから仕込みだけしたり。若い時からそんな生活をしてるから、もう体がそうなっている。

 

─ 朝2時。もはや夜ですね。それだけやっても、まだ「もっと良くしたい」があるんですね。

 

晶:あるね。「もっとおいしくならへんかな」とか。「ちょっと変えたらどうなるかな」とか。そこがあるからずっと面白いんやと思う。

ちょうどいまも、「パネトーネ」っていうイタリアのミラノを発祥とする、伝統的なパンに新しく挑戦しているところ。これまでやってこなかったのは、パネトーネって、イタリアの発酵の仕方で、発酵が長時間なんで作るのが大変なんですよ。でも、日本のような多湿な環境でも1ヶ月くらいカビが生えずに日持ちする面白いパンなんです。

でも、僕の人件費なんかも考えたら、原価的にペイできるかどうかも分からんようなもの。売上のためというより、楽しみでやっている。そういう楽しみがあると、ちょっと自分でもモチベーションがあがるよね。今までやったことないことをやるっていうのは、自分でもドキドキやし、なんか面白いよね、たまにやるとね。ただ儲けるだけでやってる仕事じゃなくて、楽しみがあるっていうのは長く続けるには大事なことやと思う。

 

恵以子:ランチも同じです。ちょっとずつ変えてます。トレンドを追うというより、季節の材料もあるし、このパンにはこういう合わせ方の方がいいかな、みたいなのが毎年少しずつ変わるんです。だって、自分の舌も年齢とともに変わってきますから。やりながら時々に考えて、いまの感覚に素直になって、整えていく感じですね。

 

─ 私もよくドーシェルさんで食事させてもらいますが、お店に漂う時間の流れも、ドーシェルらしさのひとつだなと思うんです。その辺りはなにか意識されてるんですか?

 

恵以子:席が時間制っていうのは嫌なんです。せっかくここまで来てくださってるのに、「そろそろお願いします」みたいにするのは違うなと思ってて。料理を食べてもらうだけじゃなくて、この空間も含めて楽しんでもらってなんぼやと思ってるんです。だから席がなかなか空かへんな、と思っても、こちらから急かすことはあまりしたくないですね。

コロナ禍以降は、これまでずっとやっていなかったお店のSNSもやるようになったり。街からは遠い場所なので、季節のメニューやお店のことを発信していくことで、少しでもお店に興味を持ってから来て楽しんでほしい。私は機械も苦手なので大変でしたけど、やらないとしゃあない、って感じでやってます。実際には、コロナ禍前より売上がすごく戻ったわけではないですけど、私らの年齢を考えたら、今くらいのペースが、お客さんにも私らにも、ちょうどいいのかなとも思ってます。

 

─ 最後に、いま振り返って、ドーシェルってどんな店だと思いますか?

 

恵以子:なんでしょうね。やっぱり、家族でできる仕事をしたい、から始まって、そのまま家族の暮らしごと積み上がってきた店やと思います。子どもが小さかった時のことも、スタッフのことも、場所のことも、全部そのまま重なって今がある感じです。

 

晶:続けようと思って続けてきたというより、その時々で、ちょっとずつ変えながらやってきたら、ここまで来たという感じかな。

紀美野町の山の上までわざわざ来て、パンを選んで、ランチを食べて、景色を見て、少しゆっくりして帰る。その時間ごと持ち帰ってもらえるような店でありたい、という気持ちがある。その考え方がパンにも、空間にも、働き方にも、ずっと通っているんやと思う。

僕は今69歳なんで、身体にも色々メンテナンスが必要な時期に差し掛かってきたと実感することもあるけど、まだまだやれるなという実感もある。いまも変わらず、パンを作ることは大好きだし、とにかく楽しい。いまのところ、75歳までは続けることを目標にしています。そこまで続けられれば、とりあえず満足かな。それまでは新しいことにチャレンジし、小さく変化をしながら、楽しんで続けていきたいですね。

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ドーシェルの歴史を聞いていると、「続ける」というのは、同じことを守り抜くことではないんだなと思う。家族の形が変わっても、店の形が変わっても、周りの景色が変わっても、そのたびに少しずつ手を入れながら小さな変化を続けていく。その柔らかさがあるから、山の上のあの店には、いまも人が集まるのかもしれない。

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※記事の内容は2026年3月31日時点のものです

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戸田 晶(AKIRA TODA)/ ドーシェル パン職人

1957年生まれ 和歌山県海南市出身
大学の水産学科を卒業後、京都で会社員として3年間勤務。

その後、パン屋で3年間の修業を経て独立。

宝塚でパン屋を開業し、約8年間にわたり店を営んだ後、紀美野町へ移住。

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戸田 恵以子(KEIKO TODA)/ ドーシェル カフェ・料理担当

1959年生まれ 大阪市出身
短大卒業後大阪で就職。
退職後修業時代の夫と知り合い、一緒にパン屋を開業。
1998年、夫・子ども二人と共に紀美野町に移住。

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