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海外での旅と、建築家の夢への挫折、熊本地震ボランティアでの出会い。
変化の中でこの土地にたどり着き、自らの手で家を建て、シェアハウスを立ち上げた。
自然と人が調和した未来を描く、建築デザイナーとしての暮らし方を聞きました。
海外での旅と、建築家の夢への挫折、
熊本地震ボランティアでの出会い。
変化の中でこの土地にたどり着き、
自らの手で家を建て、
シェアハウスを立ち上げた。
自然と人が調和した未来を描く、
建築デザイナーとしての暮らし方を聞きました。
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【KATAKOTO CRAFTS】
【山の中のシェアハウス”Flag”】
片桐翔太 / 建築デザイナー
移住歴5年
大阪府泉佐野市出身
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ものづくりが好きな学生時代
新たな「設計」との出会い
─ 片桐さんは、大阪府泉佐野市の出身だそうですね。
高校生の頃はどんな学生でしたか?
片桐:高校に進学することを、あまり意識したことなかったんです。中学を卒業したらすぐに働くものだと思ってたので。周りが「どこの高校行く?」って話をしているのを見て、「え?高校って行くの?」って感じでした。どうせ高校に行っても、ゆくゆくは父や兄みたいに大工になろうと思ってたんで、進学とかは全然考えてなかったんです。でも学校の授業で、進学先の大学や専門学校の話を聞く機会があって、その時に建築の「設計」という分野を初めて知りました。そこで建築の専門学校に進むという選択肢ができたんです。
─ それが設計との出会いだったんですね。
片桐:そうです。その時に設計の面白さに気づいて、「これや!」って思ったんですよ。こっちの方が絶対面白いやんって。小さい頃から自分はモノを作るのが好きで、考えること自体も好きだったんですね。小学校の頃から、「棚が欲しい」と言えば、親から「自分で作ってみろ」と言われて、図面を書いたり。父が大工なので、現場に遊びに行って、余った木材をもらってガラクタみたいなものを作って楽しんでいました。夏休みの工作や、貯金箱作りも父と一緒に張り切ってやっていました。中学の技術の授業でも、周りから教えてほしいと言われることもあり、「自分にはモノを作るのが向いているな」と思っていました。
─ そのあと専門学校に進むんですか?
片桐:指定校推薦で専門学校に行こうと考えていましたが、親は反対でした。父は大工として一緒に働きたかったんだと思います。でも、諦めきれずに何度か説得して、父から「自分で稼いだお金で行くならいい」と言われて、建築現場の仕事をしながらお金を貯めることを決意しました。「現場を知ることで設計に活かせる」というアドバイスもあって、その経験を積んでから設計を学ぶ道を選びました。
そこから1年で200万円貯めることができて、兄が「頑張ってるし、本気だから、専門学校に行かせてもいいんじゃないか」と言ってくれて。家族も納得して、専門学校の夜間コースに入学しました。
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建築家としての変化と
オーストラリアで出会った
エコな暮らし
建築家としての変化と
オーストラリアで出会ったエコな暮らし
─ 専門学校のあとの進路はどう考えていたんですか?
片桐:まず「建築を志すなら、世界も知らなければいけない」と考え、海外への旅に出ました。まずは3ヶ月の間、東南アジアを旅しました。タイ、マレーシア、シンガポールを回って、カンボジアやベトナム、香港、中国と旅をしたあと、一時帰国しました。
その後も海外を旅する予定でしたが、一時帰国中の2016年に熊本地震が起きたんです。その時は時間もあったので、せっかくなら長期でボランティアに行こうと思い、熊本へ半年間のボランティア活動へ出発しました。
─ 熊本地震のボランティアに従事するため、海外の旅は中断されたんですね。
片桐:そうです。ボランティア拠点には半年間住み込みで活動していました。そこで、同じボランティア団体で一緒に活動していて、現在の妻である、ゆほと出会いました。ゆほと、「ボランティアが終わったら海外を、一緒に旅したいね」って話をして、旅をする資金を貯めるためオーストラリアへ1年間ワーキングホリデーに行きました。
オーストラリアに滞在中、パーマカルチャーで有名なエコビレッジ「クリスタルウォーターズ」に1か月間滞在したんですが、それが僕たちの大きな転機になりました。そこでのエコな暮らしを経験するうちに彼らの価値観に関心を持つようになって。それに、海外の人から日本の環境意識の低さを指摘されたことで、自分ごととして意識するようになりました。それ以降、環境に負荷をかけない暮らしに惹かれるようになり、それと同時に建築家としての夢は徐々に薄れていきました。
─ その後も、旅を続けていくんでしょうか?
片桐:その後は、「環境に負荷をかけない暮らしやパーマカルチャーを学ぶ為」に旅を続けていましたが、言語の壁があって知識を十分に吸収できませんでした。日本にもエコな暮らしを実践している人がいるし、結局は「自分で手を動かして学ぶことが一番」だと感じたので、帰国を決めました。
日本のどこに腰を据えて、パーマカルチャーをはじめとする「環境に負荷をかけない暮らし」を実践しようかと考えた時、旅に出発する前に訪れた和歌山がパッと頭に浮かんだんです。当時住んでいた大阪から、少し行ったところに「こんなに自然が豊かで良い場所があるんだ」と、それがずっと記憶に残っていて。最初は住み込みのアルバイトができる和歌山の農家さんに連絡をしました。農家さんの手伝いをしながら、地域に溶け込んでいくのがいいかなと思って。
─「とりあえずやってみよう」精神ですね。
片桐:そうです。何か新しいことを始める時、深く考えすぎずにまずは一歩踏み出してみる。やってみて、ダメだったらその時に考え直せばいいという考え方です。本気で取り組めば、最終的にどうにかなると思っています。移住する時も、最後の一歩を踏み出せない人は多いと思います。でも、やってみれば何とかなることも多いですし、深く考えすぎなくても良い時もあります。もちろん、うまくいかないこともありますが、それでも何かを始める勇気は大事です。
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新しい土地でもう一度建築と向き合い
地域の中で感じた課題
新しい土地で
もう一度建築と向き合い
地域の中で感じた課題
─ 日本に戻り、自然に近い場所での暮らしがスタートしますね。
始めから紀美野町に移住したんですか?
片桐:最初は別の地域に移住したんですけど、人脈も広がらず、家も見つかりませんでした。そんなとき、農家さんから「隣町の紀美野町が移住に力を入れている場所だ」と聞いて、行ってみることにました。初めて訪れた時に、移住のための資料や情報を丁寧に見せてくれて、その日に先輩移住者とも会わせてもらえました。そして、その日のうちに短期滞在施設(町が運営する、1年間の期限付きのお試しハウス。現在は町に4軒ある)も紹介してもらえて、「ここならいけるかも」と感じました。
その後、2~3回通ううちに地域の人から物件も紹介してもらえて、やっと現実的な家探しが進み始めたんです。それまで不動産サイトで見つけた物件は1件だけだったので、それに比べて物件の選択肢が増えて「ここなら見つかる!」と思いました。そうして、自然と紀美野町への移住を決意しましたね。
─「短期滞在施設」で現地に住みながらの家探しをしたんですね。
片桐:そうなんです。そんな時に国吉に縁のある地元の方が「この土地を使っていいよ」って言ってくれて。条件にしていた1万坪の広さや井戸はなかったけど、日当たりが良くて川も近くて、「これならありかも」って思えたんです。その土地に一からセルフビルドで家を建てることにしました。なるべく自然素材で、古くから使われている工法で、それでいて快適に暮らせる家。自分たちが海外で影響を受けた「環境に負荷をかけない暮らし」が実現できるような住居を目指しました。実はそのタイミングで妻の妊娠もわかって、家族で理想の暮らしができるように、気合いを入れて一気に進めることにしました。父や兄、旅で出会った人や地元の友達にも手伝ってもらいながら、半年くらいで小さな家が完成しました。
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補助金を活用して会社を立ち上げ
自分の仕事が、誰かを幸せに
─ その後、紀美野町で建築事務所を設立することになるんですね。移住してすぐに開業したんですか?
片桐:移住初期は、農家や製材所でアルバイトしていましたが、建築を勉強していたことや現場で働いた経験を活かしてリフォームの仕事を受けるために、建築事務所「KATAKOTO CRAFTS」を開業しました。商工会にも相談して、創業支援補助金で住宅兼事務所を建てられたのも大きかったですね。コロナ禍では持続化給付金も活用しましたが、これも商工会の支援があってこそでした。
初めての仕事として、近所で仲良くしていたご夫婦が住む、古民家リフォームをやらせてもらいました。その仕事を二人がすごく喜んでくれて、彼が僕の仕事をいろんな人に紹介してくれたんです。その頃は、周囲のサポートで仕事をもらっている部分が大きくて、「自分の力で仕事を取っているわけじゃない」という不安もありました。
でも、そうやって人の紹介で仕事を続けているうちに、何人もの人が「片桐くんに頼んでよかった」ってすごく喜んでくれて。その人たちがまた誰かを紹介をしてくれたり。きっかけは人の紹介だったかもしれないけど、「自分の仕事で確実に誰かを幸せにはできてるのかもしれない」と思ってから、自分の死後地に自信を持てるようになりました。
─ 自分の仕事が誰かを幸せにし、また人を呼んでくる。良い流れができていますね。
そこからは事業も流れに乗って進んでいくんですか?
片桐:仕事の依頼は順調に来ていたのですが。。コロナ禍を経て、地域で続いてきたお祭りや文化などの営みが一つずつ消えていき、無かったことになっていく様子を目の当たりにしました。また、年々減っていく人口を見て、この地域が消えてしまう可能性をひしひしと感じたんです。自分たちだけでエコな生活を追い求める暮らしもあるけど、人が少なくなれば、インフラも整備されなくなって、孤立した生活になるんですよね。それは僕がやりたいことじゃない。
僕が求めているのは、周りの人たちとの交流も含めた生活や営みそのもの。自分たちが信じている暮らしを発信して、同じ価値観を持った人たちを周りに呼び込むことが必要だと思ったんです。
※補助金の内容は活用した当時の情報を記載しており、変更となっている可能性があります。
現在の内容については、必ず管轄の商工会および行政等に確認をお願いします。
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シェアハウスという新しい学校
持続可能な地域の在り方
─ そうした思いから、シェアハウスを立ち上げたんですね。なぜ、シェアハウスだったんですか?
片桐:ごく小さな範囲に集中して活性化させる「地域完結型」というコミュニティの在り方について考えていた頃に、カンボジアで出会った友達が、紀美野町に遊びに来てくれたんです。その友達が、以前にシェアハウスに住んでいた経験を話してくれて。その話を聞くうちに、「シェアハウスいいやん、やってみよう」と思いついたんです。これなら、地域に若い人を呼び込むきっかけにもなるんじゃないかと考えました。また、子育ても共同でできるような昔ながらの相互扶助の場所にしたいと思いました。さらに、移住者を継続的に呼び込めれば、移住後の家の改修工事などで自分の仕事としても受けられる。この場所を起点に良い循環が生まれると、そう考えたら、これは絶対やるべきだと思いました。
─ シェアハウスを中心としたコミュニティの循環がイメージできたんですね。
片桐:僕が考えるシェアハウスは、ただ住むだけの場所じゃなくて、移住者の田舎生活の入り口になるような、学校みたいな場にしたかったんです。ここで畑や家の改修など、田舎暮らしの知恵やスキルを学び、そのまま地域に根付いていく関係性を築ける場所。まさに、卒業しても繋がりが続く「学校」みたいなイメージです。その人たちが地域で助け合いながら暮らしていく。そんなサイクルを作りたいと考えていました。コンセプトは「100年続く里山をつくる」。
そんなとき、別の町に引っ越すことになった家族が住んでいた家を「ここ貸してあげるから、シェアハウスやってみたら?」って提案してくれて。広さも十分な家と土地だったので、すぐに決めました。
仲間に手伝ってもらったり、古民家改修のワークショップという形で知らない人にも参加してもらいながら、ほぼ自分たちの手だけでリフォームをし、「Shared Residence “Flag” 」という名前のシェアハウスをオープンしました。
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─ うまくいったら、とても面白いアイデアですよね。
片桐:オープンとほぼ同時に3組の移住者が入居することが決まり、とても順調なスタートでした。自分たちのコンセプトで目指していたような、20代~40代の子育て世代で、職業もクリエイターや飲食店開業を目指す人など、多様な人たちが集まってくれて、自分たちのやろうとしていたことは間違ってなかったんだ!と期待に胸が膨らみました。
でも、実際に移住してここでの生活をしていくうちに、それぞれにやりたいことが出てきたり、自分だけの家を求めてなど理由は様々ですが、新しいメンバーと入れ替わりつつ、オープンから2年で初期メンバーはすべて入れ替わりました。
今思い返すと、順調だった最初の頃はブランディングや発信がビジュアル面に偏っていたと思います。見た目はかっこよく見えても、環境に負荷をかけない、「本当に持続可能な暮らし」を学びたい人たちには刺さっていなかったかもしれない。実際、来てくれる人もたまたま人の紹介でというケースもあって、僕たちの理念やコンセプトが深い部分で響いていなかった感じがします。
─ 大切なのは、来てほしい人に”正しく”情報を届けて、それを受け取ってもらうことですね。
片桐:そうです。情報発信も、表面的なカッコよさや理想的な田舎暮らし的良さだけじゃなく、本当の意味での「田舎でしか実現できない生活や営み」という部分を、しっかり想いを乗せたうえで発信していくべきだと思いました。
うまくいけば、この場所は唯一無二の存在になれるポテンシャルがあると思っています。だけど、それを活かしきれていなかった。今はまだ地域に小さな変化から起こしつつ、根気強く、丁寧にメッセージを発信していこうと思います。
─ 運営としていくなかで、資金的な循環も生まれそうですか?
片桐:運営を初めて2年になりますが、「シェアハウスを運営して人を集める」という方法では、資金的にずっとは続けられないということが分かってきました。これまで地域に人を呼び込むことにずっとエネルギーを注ぎ続けてきたけど、正直、お金は発生しません。建築事業の時間を削って取り組んでいたため、資金もみるみる少なくなって、自分たちの生活自体がどんどん苦しくなっていきました。そのせいで、家族にもプレッシャーをかけることになってしまい、子供と過ごす時間もあまり取れず、色々大変な思いをさせてしまっていた。
そもそも「地域を変える」というのは時間がかかることなのに、これでは長く活動を続けるのは無理です。なので、今はまず、自分の建築事業「KATAKOTO CRAFTS」で利益を確保して、その上で活動を持続させる基盤を作ろうという方向に切り替えています。
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本当に近くにいる人を大切に
いまある豊かさを未来へ伝える
─ 今後、シェアハウスや建築の仕事はどう続けていきたいですか?
片桐:今は建築の会社をしっかり大きくしていくことに集中しているので、地域の活性化や地域に人を増やすことに対して、以前ほど熱く語ったりすることはなくなりましたが、向かいたい方向性は全く変わっていません。以前のようにひたすらに突っ走るという感じではなく、少し俯瞰して、冷静に考えながら進めている感じです。やりたいことを実現するには、お金も必要だということを改めて感じています。力技ではなく、もっと効率的で計画的なアプローチを意識して、着々と進めることの大切さを実感するようになりましたね。
─ 当初の「環境に負荷をかけない暮らしを実現する」という目標はぶれていないと。
片桐:それはずっとぶれていません。最初は漠然とした目標だったけど、紀美野町での生活を通じてその思いがどんどん強くなっていきました。深いところで共感できる仲間たちと「持続可能な地域の営み」を作っていきたいというミッションは今でも持ち続けています。それに、家族と一緒に過ごす時間を大切にして、子供に自分ができなかった体験をさせてあげたいという思いもあります。
海外でさまざまな民族や宗教に触れてきた経験や、地域を盛り上げるために突っ走ってきたこの2年間を経て、最終的に大事にしたいのは家族だと気づいたんです。今は「新しく作る」のではなく「今ある豊かさ」を大切にしたい。家族が一番大切なのはもちろんですが、この地域そのものも豊かさの一つです。自然を通じて感じる豊かさを、同じ感覚を持つ仲間たちと共有し、残していくことが僕の使命だとも思っています。その原動力となるのは、やはり自分の家族や身近な人たちです。僕にとっては「ほんまに近しい人」を大切にすること、その人たちが幸せであることがなにより重要です。
─ 建築を通して何か実現したいことや、自分が目指す姿は?
片桐:今は「ちゃんとした会社を作っていこう」と思っています。建築士の資格を取って、建設業許可を取得し、より大きな規模の工事も受注できる体制を整えたいです。そして従業員を雇って、会社として成長していけるようにしたいですね。
今までの経験を活かして、まちづくりのハードを作るときに声をかけてもらえるような存在になれればと思っています。依頼者の意図を深いところで汲み取ってくれる設計ができる建築士は少ないと思うので、地域の経験を基盤に、唯一無二の建築事務所を目指したいです。
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キーワードは「同時多発的な動き」
新しいことが次々と起きる場所を作りたい
キーワードは「同時多発的な動き」
新しいことが次々と
起きる場所を作りたい
─ 最後に、これから移住してくる人に向けてのメッセージやアドバイスがあればお聞かせください。
片桐:若い人には、ただ住むだけでなく、地域に新しいプロジェクトを持ち込んでくれるような人が来てほしいと思っています。たとえば、近隣の町では最近、グランピング施設や宿泊施設、サウナ付きのログハウスなどが次々とできて、クラウドファンディングでも大きな成果を上げています。そうした動きがあると、地域全体に勢いが感じられます。タイミングよく何個かのプロジェクトが続けて起こると、一気に注目される地域になるんですよね。
紀美野町もそういう可能性がまだまだあるんじゃないかなと思うんですよね。紀美野町でも以前は飲食店ブームがありましたが、もう一度、そうした盛り上がりを起こせれば、また空気が変わると思います。「同時多発的な動き」がキーワードだと思っています。「ここ最近で、これだけ多くのプロジェクトが生まれました」という流れを見せられると、「今、この地域が熱い」と感じてもらえる。面白いビジネスやプロジェクトが同時多発的に起こることで、一気に地域全体が活気づくんじゃないかと考えています。
─ そういう動きが、さらにこの地域に新たな人を呼び込むきっかけになると。
片桐:はい。その勢いを活かして地域の魅力を伝えることができれば、移住者や事業者を呼び込むきっかけになるはずです。僕も、紀美野町を「何か新しいことが、次々と起こる面白い場所」にしたいと思っています。そのためには、起業して新しいことに挑戦し、地域を盛り上げるようなクリエイティブな人たちがどんどん集まってくれるといいですね。
そんな志を持った人たちが、安心して集まれるような場所。シェアハウス「Flag」がそんな場所であればいいなと思います。
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※記事の内容は2025年3月31日時点のものです
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片桐 翔太(SHOTA KATAGIRI)/ 建築デザイナー
1992年生まれ 大阪府泉佐野市出身
父や兄の影響で、建築家になることを志し建築の世界へ。
その後、海外を旅する中で出会った「持続可能な暮らし」を実践するため、2020年紀美野町へ移住。
建築デザイン事務所「KATAKOTO CRAFTS」を立ち上げ、若年層を中心とした山の中のシェアハウス「Flag」を運営。
「100年続く里山を作る」をコンセプトに、建築や持続可能な暮らしの実践を通じて、地域社会のあり方を探求する。