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静かで美しい旧志賀野村の町並みに佇む「もみのき食堂」
彩り豊かな菜食料理と、穏やかな笑顔で連日賑わう人気店
42歳から新しい世界へ踏み出した、料理人としての生き方を聞きました。
静かで美しい旧志賀野村の
町並みに佇む「もみのき食堂」
彩り豊かな菜食料理と、
穏やかな笑顔で連日賑わう人気店
42歳から新しい世界へ踏み出した、
料理人としての生き方を聞きました。
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【もみのき食堂】
又野寛 / 料理人
移住歴13年
大阪府泉南市出身
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司法書士事務員として
過ごした15年間
ビーチバレーに注いだ情熱
─ 又野さん、本日はよろしくお願いいたします。まずは、移住前の暮らしから聞かせてください。
大阪府泉南市出身ですよね。大阪にいた頃はどういった暮らしだったんですか?
又野(またの):大学の専攻が法学部だったんで、大阪の司法書士事務所に就職して、40歳までそこの事務員として働いていました。大学時代から「都会をスーツ姿で歩く人」に憧れていました。法律系の仕事も知的でいいなと思っていましたし、そんな自分になりたいと強く思っていましたね。
─ 社会人キャリアで考えると、司法書士事務員としてのキャリアの方が長いんですね。
又野:そうですね、約15年間なので。学生時代はファミレスや飲食店でアルバイトをしたこともありますが、社会人のキャリアとしては司法書士事務所での経験がほぼ全てです。
─ 司法書士の勉強をされている間には、「自営でやっていきたい」という気持ちはありましたか?
又野:はい。司法書士の資格を取るということは、基本的に独立を目指す方向性が強いですから、20代の頃から独立はなんとなく考えていました。ただ、29歳の夏にビーチバレーを始めて、それがものすごく面白くてのめり込みました。平日は仕事、土日は海でビーチバレーという生活でもちろんプロを目指すわけでもなくただ面白いからやっていただけで。自分でもよく分からないくらい一生懸命でした(笑)
─ なるほど(笑)司法書士の勉強や仕事と並行して、ビーチバレーにも”全力”を注いでいたんですね。
又野:そうですね。僕は、やり出すととことんのめり込むタイプで、夢中でやっていました。でも今振り返ると、すごくいい時間だったなと思います。生活や仕事には満足していて、楽しかったし、大切な思い出です。
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家族の体調不良がきっかけで
ヴィーガン料理の世界に熱中
家族の体調不良がきっかけで
ヴィーガン料理の世界に熱中
─ 仕事や生活にも満足していたのに、その頃に何か変化があったんですか?
又野:娘が2歳の時に、新しいマンションに引っ越したんです。引っ越しで周りの環境が変わったこともあったのか、その頃から娘が急に塞ぎ込むようになり、毎日泣いてばかりでした。妻もその状況に疲れ果ててしまっていたので、「何かできることはないか」と思い、家族のために料理を始めました。「身体にいいものを作って家族に食べさせたい」という思いから、料理本を読みながら玄米菜食料理に取り組むようになりました。ビーチバレーに注いでいた情熱が、そのまま料理に向かった感じです。
─ 料理を始めたのはご家族の体調不良がきっかけだったんですね。
そこからは、ビーチバレーの時のように”料理”の世界に没頭していくんですか?
又野:そうです。今までビーチバレーの競技力を上げるためにトレーニングに取り組んだエネルギーが、そのまま料理に向かいました。これが楽しくて、取り憑かれたように玄米菜食のお料理に取り組みました。当時のマンションのベランダ前の、もみのきにちなんで我が家の食卓を「もみのき食堂」と名付け、毎朝出勤前に玄米を炊いて、いろいろおかずを作って仕事に行く生活が始まりました。一年ほど続いて、料理が僕の中心になるかもしれないなと感じました。少しずつ「食」を軸にした将来のイメージが膨らんでいったんです。
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紀美野町への移住
人のご縁がつないだ紀美野町
紀美野町への移住
人のご縁がつないだ紀美野町
─ その後、40歳で紀美野町に移住されたそうですね。
なにかきっかけがあったんですか?
又野:はい。菜食のお料理に取り組んでから、自然豊かなところで暮らしたい気持ちが強くなっていました。家族で旅行するときは自然と田舎に行くことが増えて、龍神村や熊野などを訪れては、「ここに住んでみる?」と妻と話していましたが、実家のある大阪から3時間かかる距離は厳しいという感じで、その時はただ旅行として楽しんでいました。
その頃、オーガニック系のイベントで、和歌山の古民家で石鹸を作っている若い夫婦に出会いました。彼らのお家に遊びに行かせてもらった時、そのライフスタイルに魅了され、「僕たちも田舎で暮らしたい」と強く思うようになりました。石鹸工房の夫婦を通じて「知り合いで紀美野町の”毛原”というところに引っ越した人がいるよ」と教えてもらい、そのご縁で初めて紀美野町に訪れました。
最初に訪れた時、学校や地域が素晴らしい環境だと感じました。そして、町会議員の方、小学校の校長、中学校の校長先生が一緒に毛原の空き物件を案内してくださいました。皆さんの人柄に惹かれ「この人たちがいるなら大丈夫だ」と直感的に思いました。他の地域を見に行くこともなく紀美野町の”毛原”に移住することにしました。
─ まったく迷いなく、即決されたんですね。奥さまもその時には納得されてたんですか?
又野:紀美野町に初めてきた時、実家のある大阪から車で一時間半で到着しました。それが妻にはちょうどよかったようで、「この距離ならありかも」と言ってくれました。その一言で、「ここにしよう」と決断しましたね。
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マルイチ農園との出会い
新しい挑戦への決意
─ 紀美野に移住して、すぐにお店を始めるんですか?
又野:いえ、当初は自分がお店を出すなんて全く考えていなくて。移住のテーマとして「自然の中で食や農に関わる暮らしをしたいな」と思っていたくらいでした。紀美野町に移住しようと決めた時点で、この町について調べていく中で、「マルイチ農園」のオーナーさんのブログを読んで、「面白いことをやっている方だな」という印象を持っていました。そして偶然、インターネットでマルイチ農園の求人情報を見つけて「これは行ってみるしかない」とすぐに応募し、無事に採用されました。本当に運が良かったです。この出会いが、後にお店を始めるきっかけにもなりましたから。
─ 「マルイチ農園」でのお仕事はどうでしたか?
又野:もう、毎日が新しい発見の連続でしたね。栗の収穫や選別作業、柿の手入れや受粉作業、ジャガイモの世話など、季節ごとに次々と仕事が変わっていくんです。その移り変わりが本当に面白くて、「こんな風に自然のリズムで働くのって最高だな」と思いました。
自然と触れ合いながらの生活を続けていくうちに、「これをそのまま仕事にできないだろうか?」と考えるようになったんです。ここでの暮らしは、生活と仕事の境界線が曖昧というか、繋がっている感覚があって、それがすごく新鮮だったんですね。都会にいた時は、生活と仕事が完全に分かれていて、どうしても生活が後回しになる部分がありました。でも、ここでは「日々の暮らしの延長線上に仕事がある」という感覚がとても心地よかったんです。
─ 思い描いていたような、田舎での暮らしや仕事が動き始めたんですね。
又野:はい。マルイチ農園オーナーの北さんといろんな話をしながら、「ここでの暮らしを何か発信したい」という気持ちが強くなっていきました。例えば、採れたての野菜を使った料理や、季節ごとの農作業の魅力、地元の食材を活かした食生活の豊かさ。それを何らかの形で誰かに伝えたいと思いました。北さんも「ここは本当に素材が豊かだから、君がやりたいことはきっと形にできるよ」と励ましてくれて。その言葉がすごく嬉しかったですし、背中を押されました。
─ それが現在のお店に繋がっていくんですね。
又野:ええ。今のお店の原型というか、コンセプトはその時点でほぼ決まっていたと思います。「地域の素材を活かして、自然と共に生きる暮らしを体現できる」ような場を作りたい。その中で、自分の料理への情熱や、食と農を通して人と繋がる喜びを形にしたいと思ったんです。
最初は、農園で採れた季節の野菜や果物を使ったイベントメニューを考えて提案してみたりと、小さな取り組みから始めたんですが、その積み重ねが少しずつ自信になり、「本格的にお店をやってみよう」と思うようになりました。
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ヴィーガン料理でいこう
42歳からの新しいチャレンジ
─ ここから本格的に今のお店を開業することになっていくんですね。
又野:マルイチ農園で働いた一年間で、コンセプトははっきりしていたので、マルイチ農園に「旧農協の米蔵を活用したいと思っているけど、一緒にやらない?」と声をかけてもらえて。米蔵には栗農家さんの蔵ということで「くらとくり」と名前をつけ、マルイチ農園とコーヒースタンドと建物をシェアする形で「もみのき食堂」という菜食料理を出すお店を立ち上げました。
─ 菜食料理に特化したのは、どんな理由があったんですか?
又野:僕がずっと取り組んできたのが菜食料理だったので、植物性食品に自然と特化することになりました。それに、和歌山は本当に野菜が豊富で、素晴らしい食材が揃う地域なので、最初から「これでいこう」と決めていましたし、個性も出せると思いました。当時は和歌山で菜食料理を提供しているところはまだ少なく、自然と「これしかない」と思えたんです。
─ 現在では、ヴィーガンが選択肢として一般的になりつつありますね。
又野:そうですね。今はスーパーでもヴィーガン商品が並ぶようになりましたが、当時はまだ珍しく、最初に自然とこの道を選べたことは、本当に良かったと思っています。もちろん調味料や食材等こだわりはありますが、ただただ、「とにかく美味しいものを素敵な空間で食べていい時間を過ごしてほしい」というのが基本的な考え方です。
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奇跡のような人とのご縁
周りの人たちがいて、今の自分がある
─ 42歳からの新しいチャレンジですね。
それまで仕事は司法書士事務所や農家ですが、料理は独学で学ばれたんですか?
又野:はい、基本的に独学です。それがコンプレックスにもなっていました。だから初めて料理を提供する時は、本当に震えましたね。修行をしていればある程度ゴールやお客さんの反応も想像できたと思いますが、全く未知の世界だったので、めちゃくちゃ怖かったです。
お店を始めた当初は「THE STAND」(現 THE ROASTERS)というコーヒースタンドを運営している方たちと協力してスタートしました。僕はランチ担当、「THE STAND」さんはドリンク担当、そして地元のマルイチ農園が自家製ジャムや野菜を使った商品を提供するという共同営業で役割を分担してました。「THE STAND」さんが自家焙煎のコーヒーや焼き菓子などを提供してくれてとても心強かったです。
─ スタートに関わった方々が、お店の雰囲気づくりや運営に非常に重要な存在だったんですね。
又野:本当にそうです。「THE STAND」さんたちが一緒にスタートしてくれたことで、お店の雰囲気が大きく形作られました。彼らはデザインに強く、和歌山の人脈も広げてくれました。おかげで和歌山で自分のお店やモノづくりをする様々な世界で活躍する人たちともつながることができました。
─ 料理面でのサポートもあったんですか?
又野:妻の姉の友達でプロの料理人がいて、その人の存在が大きな支えになりました。彼はフィンガーフードスタイルのケータリングで活躍する実力派。僕の料理に可能性を感じて「美味しい。もっとやれる」と言ってくれました。彼自身もレストランプロデュースにも取り組みたいと考えている時期だったので、僕のお店を手伝ってくれるようになり、僕も彼のケータリングの仕込みを見せてもらったり、一緒に働いたりする中で、効率的な仕込み方法や業務の進め方を学ぶことができました。
─ 立ち上げ初期に、かなり密にサポートしてくれたんですね。
又野:はい。毎週のように来てくれた時期もあり、彼のおかげで料理のスキルもお店の運営も大きく成長できたと思います。
オープン当時は迷いや不安もたくさんありましたが、サポートしてくれる料理人やスタッフさんがいたことが大きな支えでした。彼らのおかげで、料理だけでなく、お店の方向性や運営について、自分一人では到底できなかったことが形になったと実感しています。今振り返っても、本当に楽しい時間でした。
─ 話を聞いていると、人との出会いがとても大きな支えになっていますね。
又野:本当にそうです。これまでの出会いは全部、奇跡みたいなものでした。それがあったからこそ、今の自分があるんだと思います。
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「農家と一緒である」という誇り
自然に溶け込む営みの中で
「農家と一緒である」という誇り
自然に溶け込む営みの中で
─ 当初に思い描いていた農的な暮らしや理想の働き方と、現在の状況はどうですか?
又野:正直、今の僕の毎日は「農」に向き合う時間はほとんどなくて、農的な暮らしには程遠いです。これからの課題の一つです。でも、支えになっているのは、マルイチ農園さんと一緒にこのお店を運営していることです。毎朝農園の方とお店のオープニング準備をしたり、まかないを一緒に食べたりしています。「地元の農家さんが母体にあるお店」だというのは、僕にとってのアイデンティティですね。そもそも「食と農に関わる仕事を自分で作り上げる」というのが僕の目標でした。その意味では、形としては達成できています。
─ その「農家と一緒に」という部分が、又野さんにとって自分を支える基盤になっているんですね。
又野:はい、間違いなくそうです。単に飲食店を営むというだけではなく、農家さんとのつながりを通して、農と食をしっかり結びつけた仕事ができているというのは、僕にとって大きな誇りです。これをもっと広げて、深めていきたいと思っています。
─ これまでを振り返って、又野さんが考える「田舎での理想の暮らし」とは何でしょう?
又野:田舎では、自然豊かな場所で「家族との時間が確保できる」ことが何よりの魅力だと思います。毎日一緒にご飯を食べたり、風呂に入ったりする時間がしっかり取れる。今は子供の進学の関係で、妻と子供たちは町を離れて暮らしていますが、家族で過ごしたこの町での風景はずっと心に残っています。豊かな自然の中で子育てをする希望を実現して、あとは家族の状況に合わせて色々な選択をしたらいいと考えています。
あと、自然の中に生活が溶け込んでいるこの環境が、僕は大好きです。よく散歩に行きますが、集落には素晴らしい散歩道がたくさんあります。田植えが終わった田んぼに山が映り込む景色とか、稲と彼岸花が同時に咲くタイミングとか、その時々の光景に感動して、写真を撮るんです。でも後から遡ってみると、去年も同じ場所で同じ写真を撮っていたりするんですよ(笑)
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最低限の設備と資金で小さく始める
自分の背中を押した補助金
最低限の設備と資金で小さく始める
自分の背中を押した補助金
─ 補助金を活用するとなると、事業を年度末までにスタートさせるという条件がありますよね。
又野:僕自身は、お店の建物の改修には資金を出していません。建物はもともと農協さんの古い米蔵でした。取り壊し予定だった米蔵をマルイチ農園さんが買い取り、「米蔵再生プロジェクト」として改修を進めているタイミングでした。僕はその米蔵を活用するスタートメンバーとして加わることができました。
─ それは本当にラッキーですね!
又野:本当にそうです。最初はマルイチ農園さんのジャムを作る加工場を兼用させていただくことで飲食店の営業許可も取らせていただき、開業費用を抑えることができました。店内の椅子や机インテリアに関しては、僕が好きで集めていた古いものを使ったり、お店の雰囲気作りに取り組むこともできました。開業資金として僕が用意したのは100万円ほどで、「移住者起業支援補助金」の100万円と合わせて200万円でスタートしました。移住者支援補助金を申請したのは、自分の背中を押すためでもありました。「やらないかもしれない」という自分を奮い立たせるために申し込んだんです。
─ 開業をしたあとにも、なにか補助金を活用しましたか?
又野:商工会で紹介してもらった「持続化補助金」を使ってオーブンを購入しました。商工会の応援がとても心強かったです。「オーブンがあればメニューの幅が広がる」と相談したら補助金の活用方法を丁寧に教えてくださいました。
─ 補助金などもうまく使いながら、徐々に設備を揃えていく形だったんですね。
又野:最初はとても簡素に、最低限のものだけ揃え、お客さんが増えるたびに必要なものを少しずつ買い足していく形で徐々に充実させていきました。最初は10食からスタートしましたが、週末は平均して60食ほど提供できるようになっています。
※補助金の内容は活用した当時の情報を記載しており、変更となっている可能性があります。
現在の内容については、必ず管轄の商工会および行政等に確認をお願いします。
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取り返しがつかないことは、何もない。
10年経って、ようやくスタートラインに
取り返しがつかないことは、
何もない。
10年経って、
ようやくスタートラインに
─ お話を聞く限り、紀美野町に移住してから、トントン拍子でやりたいことを実現させていますね。
又野:いえ。最初は僕なりに、挫折や葛藤の期間がありました。紀美野町に来た当初、鉄工所兼農機具店でお仕事させていただきました。農機具店なので農機具の修理等、「農」に関わる機会はたくさんあるのですが、草刈機の刃の交換もままならず、自分の力のなさや考えの浅さを痛感しました。周囲に迷惑をかけているような気がして、申し訳ない気持ちで過ごしていました。
「食と農に関わる仕事を自営する」という大きな方向性はあったものの、それをどう形にしていけばいいのか、全く見えませんでした。
─ 新しい生活の中で、自分のやりたいことがまだ見えてなかったと。
又野:そうですね。そこで学んだことの一つは、「自分が本当に情熱を注げることに向き合う」のが大切ということです。その頃にも料理への情熱がずっと自分の中にあったので、それをどうにか形にしていきたいと改めて思いました。また、マルイチ農園でのお仕事、役場の地積調査の臨時職員のお仕事、地元の野菜や農業、地域への理解が深まったことで、「食と農を軸にした何かをやりたい」という気持ちが具体的になっていきました。
寄り道もしながら色々と模索してきましたが、すべてが今に繋がっていて、無駄なことは何もなかったなと改めて思います。
─ 移住を考えている人に対して、又野さんの経験を踏まえて伝えたいことはありますか?
又野:とりあえず「来て!」って感じです(笑)移住して実現したい暮らしのイメージがあって、許される環境があるのなら、ぜひチャレンジしてほしいです。とりあえず動いてみたらいいと思います。あかんかったら、また戻ったらいいだけやん、って思います。
─「戻る」という選択肢があると思えば、気が楽ですよね。
それくらいで良いんです。本当に、「取り返しのつかないことなんて何もない」と思っています。僕もこの13年間で、定住する人、離れる人、いろんな人を見てきました。でも、それは単なる選択で、成功でも失敗でもなく、すべてが経験として活きる。だからこそ、やりたいことがあるなら、まずは一歩動いてみてほしい。
僕自身、サラリーマン時代は「いつか料理で何かやっていけたら」となんとなく思っていました。でも、それを行動に起こしてみたら、思いもしなかったことが次々と実現しました。何度も言いますが、取り返しがつかないことなんてない。もし違うと思ったら帰ればいいし、タイミングが整ったらまた戻ってくればいい。僕自身、試行錯誤を繰り返してきましたが、挑戦して本当に良かったと思っています。
─ 最後に、今も料理を作ることは楽しいですか?
又野:すごく楽しいです。もちろん、最初は一飲食店の料理人としての技量の無さを埋めていくのに大変苦労しました。紀美野町って、都会の飲食店とは違って最低30分とか1時間近くかけてくる人がほとんどで。ここまで来るドライブも含めて、「いい時間だったな」って、満足して帰って欲しいです。そのために、まだまだできることがあると常に考えてやってきました。
そして、10年経った今「やっとスタートラインに立った」という気持ちが大きいですね。これまでは試行錯誤の連続でしたけど、ようやく「飲食店」としての基盤が整ったかなと思います。これからは、さらに工夫を重ねて料理だけでなく、ここで過ごす時間そのものが「来て良かった」と思える体験になれば、それが僕にとっても一番の喜びです。
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※記事の内容は2025年3月31日時点のものです
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又野 寛(HOROSHI MATANO)/ 料理人
1971年生まれ 大阪府泉南市出身
2012年紀美野町に移住。
家族が体調を崩したことをきっかけに、菜食料理を作り始め、料理の世界に目覚める。
古い米蔵を再生した「くらとくり」の建物を活用し、菜食料理店「もみのき食堂」を立ち上げる。
地元農家「マルイチ農園」と運営を共にし、「食と農をつないだ営み」を作り上げている。