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みかん畑と、ひらけた空。
遠くに望む和歌山湾。
「いろどり山」と名付けた大地にある住居とアトリエで、
ふたりは毎日、絵と歌をつくりつづける。
自然から果てしないエネルギーを受け取り、
それを作品としてカタチにするアーティストとしての暮らし方を聞きました。
みかん畑と、ひらけた空。
遠くに望む和歌山湾。
「いろどり山」と名付けた大地にある
住居とアトリエで、
ふたりは毎日、絵と歌をつくりつづける。
自然から果てしないエネルギーを受け取り、
それを作品としてカタチにする
アーティストとしての暮らし方を聞きました。
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笑達 / 絵描き
移住歴5年
和歌山県紀美野町出身
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川井有紗 / アーティスト
移住歴5年
広島県広島市出身
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二人三脚で始まった
似顔絵という仕事
─ 笑達さん、有紗さん。本日はよろしくお願いいたします。
お二人は京都造形芸術大学(現 京都芸術大学)の同級生だそうですね。大学ではどういったことを学ばれてたんですか?
笑達(しょうたつ):僕は情報デザイン学科で、デザイン、写真、イラスト、版画などいろんな表現方法を幅広く学べる環境でした。今の活動に直接関係はないけど、学んだ知識や経験が少しは活きているのかもしれません。
有紗(ありさ):私は環境デザイン学科で建築を専攻していました。 建物の図面を引いたり、コンセプトを考えたり、プレゼンをしたりと、割としっかりした硬い内容の学科でした。小さい頃から間取り図を見るのが好きで、自分で間取り図を描いて家具を配置するのが楽しくて。人が集まる空間を作ることに興味があったのかもしれません。
笑達:有紗とは学科は違ったけど、同じバスケットボールサークルで出会って。
有紗 :そこで出会った人達とのご縁がきっかけで、私達は「似顔絵」に集中するようになったんです。その環境や繋がりがなかったら、今の活動はなかったかもしれません。今の私達にとって大きなターニングポイントでした。
─ 大学でのご縁が今のお仕事に繋がっているんですね。似顔絵の仕事とは、具体的にどんなものだったんですか?
笑達:似顔絵を始めたのは大学1年生の時です。大学の先輩に誘われて、路上で自分の描いたものを売るようになったのがきっかけでした。最初は人物画のポストカードを売っていましたが、お客さんが来ないので、画材を持ってきてその場で人を描くようになりました。それが似顔絵の始まりです。最初、有紗は僕のサクラ役でした(笑)誰かが描かれている光景を見ると人が集まってくるので、有紗に座ってもらって絵を描くフリをしたりしていました。
有紗:そうそう(笑)初めはサークルの仲間と路上に遊びに行っていただけで、私は自分が似顔絵を描くつもりは全然なかったんです。何度か遊びに行くうちに、自分で画材を持っていって好きな絵を描き始めるようになって。そのうちお客さんに「このタッチで似顔絵を描いてほしい」と頼まれるようになったんです。私は「え、描けませんよ!」って言ったんですが、たっちゃん(笑達)が、「描けるやろ? 大丈夫です、描けますよ。」ってお客さんに言ってしまって、なりゆきで描き始めて。でも、それがだんだん楽しくなってきて、本格的に自分でも描くようになりました。
─ そのままフリーランスとして活動を続けていったんですか?
笑達: いえ。さっき話した大学の先輩が、その頃に出版社を立ち上げて、取引先のお店などで開催する似顔絵のイベントに誘われ、在学中に参加するようになりました。いろんな場所で似顔絵を描いていく中、大学卒業の時に先輩から「うちの会社で”似顔絵事業部”をやらないか?」と誘われたんです。
正直、初めは迷いました。他にも内定をもらっていたし、その時はまだ似顔絵を生業にするイメージは持ててなかったので。でも、最終的には「好きなことをやれるのが一番いい」と思って、その会社に入ることにしました。その時、先輩が「一人じゃ大変だからもう一人雇ってもいいよ」と言ってくれたので、有紗を誘ったんです。
有紗: そうして二人で似顔絵を描く事業部をスタートしました。同時に入社した形ですね。
笑達:会社は京都にあって、大学からあまり遠くない場所でした。 会社では似顔絵のイベントや通販もやっていました。結婚式関連の依頼がすごく多かったですね。
有紗:立ち上げも運営も最初は二人だけで、狭いスペースで全部手作業でした。パンフレットを作ったり、注文の似顔絵を描いたり、とにかく何でも二人でやって回していました。でもその分、自由にやらせてもらえたのが良かったです。
笑達:社長も基本的にはやりたいようにやれという人だったので、自分たちでアイデアを出して思いつくままに形にしていました。もちろん最終の判断は社長がしてましたが、本当に恵まれた環境でしたね。
その数年後には、それぞれ自分の目指す表現の道に進むことになるのですが、36歳までは京都で活動してました。
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「自分もこんなふうに
地に足をつけて暮らしたい」
地元に見つけた理想の土地
「自分もこんなふうに地に足をつけて暮らしたい」
地元に見つけた理想の土地
─ 学生の頃から36歳までずっと京都に住んでいて、なぜ紀美野町に移住しようと思ったんですか?
笑達: 京都での家やアトリエは、やりたいことを詰め込んだ大好きな場所だったんですけど、どこか「もっと自然の近くにいたい」という気持ちがありました。有紗の作る作品が自然物を扱っていることも大きかったですね。京都駅近くは都会で、公園に行かないと土が見えない環境だったので。僕自身も似顔絵でいろいろな場所に出張していた中で、その”土地”に根ざして暮らしている人たちと出会い、「自分もこんなふうに地に足をつけて暮らしたい」と感じ始めたんです。
有紗: 私は元々、広い自然に囲まれた静かな場所に住むことに憧れていました。建築を学んでいたこともあって、「自分たちの暮らす場所を一から作り上げる」ということにも関心があったんです。田舎に行くことに抵抗はありませんでした。
笑達: たまたま僕の地元である紀美野町に立ち寄ったとき、この素晴らしい景色を見て、有紗が「ここに住む気がする」と言い出して。その後、土地の情報を調べていたら、父の同級生の家族がちょうど手放したいと思っている土地があると聞いて。すぐに「これはご縁だな」と思いました。その土地は、下に広がるみかん畑を含めて、家を建てる場所としても、外に向けたオープンなスペースとしても、すぐにイメージが広がりました。それが決め手になりましたね。
─ 最初から土地を探していたんですか?それとも家も視野に入れて?
笑達: 家があればリノベーションしてもいいと考えていましたが、無ければ無いで一から建てようと思っていたので、土地重視で探し始めました。
有紗:「ここだ!」と感じる広がりのある土地が欲しかったんです。その中のご縁で、さっき話したのとは別の、ある土地を紹介してもらいました。その土地は耕作放棄地のような場所でしたが、景色が素晴らしく、鬱蒼と茂っていた木々の間から遠くに海が見えました。すぐに「ここだ!」と思いました。結局最初に見つけた土地をギャラリー兼アトリエの「ens」の場所に、海が見える土地を住居としての場所に決めました。
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不思議な夢「いろどり山」
この土地から絵や歌が生まれた
笑達: 実はこの土地を見つけた頃に、不思議な夢を見ました。ここの山の主(ぬし)たち、クマ、イノシシ、カモシカみたいな姿の三体の山の主が相撲を取る夢で。その主たちを見た山の村人が「これは”いろどり山”だ」と夢の中で言ったんです。その言葉がずっと心に残っていて、僕たちはここを「いろどり山」と呼ぶようになりました。
その夢を見た後、兵庫で音楽家の友人と一緒にイベントをしていたんですが、彼に「その夢を絵にしてみたら?」と言われて。それがきっかけで、ライブペイントに挑戦することになり、そこで似顔絵以外の絵を人前で初めて描きました。
有紗: ライブペイントでは、たっちゃんがその夢の物語を巨大な絵で表現し、私は歌で参加しました。人前で歌うのは初めてで、まさか自分が歌うことになるなんて思ってもみなかったけど、その音楽家の友人が新しい私を引き出してくれたんです。
笑達: 9日間かけて15メートル×3.5メートルの巨大な絵を描き上げました。その体験が自分の中で何かを開放してくれて。もう全部開かれた。自分の扉がバーン!って開かれて、いま描いているような絵画をその日から描き出しました。それが今につながる活動の原点です。
その頃から有紗は歌も歌い始めて、音楽も生まれだして。この土地に出会ったことがものすごく大きかった。
─ この土地に出会ったことが、お二人の作品に大きな影響を与えたんですね。
有紗:私は正直、和歌山に特別な思い入れはなかったんです。ただ、海も山もあって自然が豊かで、しかも暖かい。私は体質的に、寒い土地がどうにも合わなくて。そういう意味では、和歌山のような”太陽の力”をすごく感じられる土地は私にとって相性が良かったんです。食べ物も美味しいし、静かで自然に包まれている。山も海もあって、水が豊かで、すごく魅力的な土地だと思うんです。
─ 確かに、土地との相性ってありますよね。
有紗: そう、土地ってやっぱりご縁だと思うんです。どんなに懇願しても縁がなければ結びつかない。
紀美野町はたっちゃんの地元ということもあって、地域の方にすごく良くしてもらったことも多かったです。だから、結果的にここが私達にとって縁のある土地だったんだと思います。逆に、田舎に住んでから都会の面白さも改めて知った。この土地に住みながらそこを拠点にして、都会に通うという形も全然ありですね。
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組織を離れ、創作の道へ
自然物の美しさと新しい自分
─ 今の活動のルーツについてもう少し掘り下げて聞かせてください。
京都にいた頃は、二人で始めた似顔絵の事業部をずっと続けていたんですか?
笑達:最初の2年間は二人だけでやっていました。その後、注文が増えてきたので、社長の方針で作家や事務のスタッフを増やしていきました。
有紗:最初は本当に二人でやってたのに、4年後には似顔絵部署だけで10人以上のチームになりました。私が入社した時は社員全体で10人ちょっとの小さな会社だったのに、その頃には社員数が60人ぐらいになっていました。
─ すごい成長ですね。そのまま会社にいても良さそうな気がするのですが。
有紗: 一言で言うと、私の場合「組織」というものが合わなかったんだと思います。成長する会社の中で、まだ若くて経験も少ない私が先輩として立たされ、週2回の締め切りに追われ、キャパオーバーになって。精神的にも追い詰められていきました。次第に「もっと自分の心から、本当に美しいと信じられるものを作りたい」という思いが募る中、日々の仕事をこなす事で精一杯で、本当の自分の感性とお客様に求められている物作りとのギャップに苦しみ、会社を辞める決断をしました。
それからは1人で作品作りを始め、気づけば勝手に作りたいものを作り続け、半年後にはすごい量の作品が溜まってて。26歳の時、京都の“恵文社”という書店のギャラリーで展示したら評判が良くて、そこから次々と展示の声がかかるようになり、仕事につながっていったんです。
─アーティストとしてのデビューですね。
有紗:そうですね。自分のことを「アーティストである」とは全然自覚していませんでしたが、最初は”自然物”を使った装身具やオブジェを作っていました。それが徐々に展覧会やオーダーにつながり、3年後にはやっと生活の目処がつくようになりました。最初は「自分を癒す」ためにやっていたことが、仕事として広がっていった感じです。
─自分を癒すための “自然物”を使った作品というのは、どういうきっかけで始まったんですか?
有紗: 会社を辞めた頃は、「ここでうまくいかないなら、どこへ行っても無理」と自信を喪失していました。でも同時に、「もっとすごいものが作れるはず」という根拠のない自信のようなものがあった。そんな揺れる気持ちの中で、久しぶりに時間に余裕ができたとき、周りの景色が驚くほど美しく見えたんです。忙しさに追われて見過ごしていた自然の美しさに改めて気づき、枯れ枝や葉っぱを拾い始めました。美しいと感じるものをそばに置くことで、自分自身を癒し、それを身につけて美しくなりたいと思ったのが作品づくりの始まりです。
作ったものを通じて「今、自分は何を考えているのか」を知るような感覚があり、それが本当に楽しかった。そして、その作品で誰かに喜んでもらえることが、さらに自分にとって大きな喜びになっていきました。
─ “作る”ことが、心を回復する大切な行為だったんですね。
有紗: 本当にそうでした。いま振り返ると当時はとにかく必死でした。自分の心を癒し、活気を取り戻すために「作る」ことが必要だったんです。生きていく上ですごく必要な行為だった。会社勤めの時は、「私が私であると上手くいかない」という思いが強くて、自分を抑え込んで働いていました。でも植物は全て違っても美しいと感じさせてくれて、「私のままで居て良いんだ」という感覚を持つことができたこと、それが大きな転機になりました。自然から学んだことや受け取ったものが、次第にこの地に移住するきっかけや、ここでの活動にも繋がっていきました。
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自分の作りたいものを作りたい
似顔絵描きとしての決意と選択
─ 笑達さんは、その後も事業部に残り、似顔絵を描き続けたんですか?
笑達:そうですね。僕はチームリーダーとして、社長の期待もあり、チームを大きくすることが良いことだと思っていたんです。でも、責任や仕事が増えるほど、絵を描く時間は減っていく。昼間は会議や雑務に追われ、夜中にようやく絵に描くような日々が続いて。それでも「作家としての自分であり続けたい」という思いが強かったので、絵を描くことだけは絶対にやめませんでした。
そんな中、有紗が個展で自分の作品を発表し、僕が憧れるような場所で認められていく姿を見て、葛藤が生まれ始めました。責任者としてチームを守るべきか、それとも自分の作りたいものを追うべきか。
揺れ続けた末、社長に相談し、似顔絵を世界にどう届けたいのか、理想のチーム像を具体化した冊子を作りました。その過程で気づいたのは、会社の方針と自分の目指す方向がズレてきていること。僕の提案はいわば、「売上や給料が減っても、絵の力だけで勝負するチームを作りたい」というものでしたが、それは会社全体や社員の生活を脅かすものでした。最終的に社長とも話し合い、自分の理想を知ってしまった上で続けるのは難しいという結論に至り、会社を辞めることを決断をしました。
─ そこから本格的にアーティスト活動を始めたんですか?
笑達:アーティストというよりは、あくまで似顔絵描きです。辞めたときに、自分が描きたい似顔絵を追求しようと決めてましたから。「生涯似顔絵」とさっきの冊子にも書いていて、本当に一生これをやっていくつもりでした。
それから2019年に紀美野町へ移って、僕たちが今住んでいる、この「いろどり山」に出会ったことで、似顔絵だけでなく今描いているような絵画を描くようになりました。この土地を始め、周りを包み込む自然から受け取るエネルギーはとてつもなく大きくて。それを少しでも形にしようと、毎日この場所で絵画を描いています。そして時々、イベントを開催して全国のいろんな場所で、僕の原点である似顔絵も変わらず描き続けています。
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「本当にここに住む覚悟があるのか」
ここだ!と確信した土地からの試練
─ お二人が36歳の時、2019年に紀美野町へ移住されるんですね。
この家の建つ土地は、購入されたんですか?
笑達:地主さんにお願いして購入させてもらいましたが、両方とも農地だったので、宅地へ転用する手続きをしました。役場のアドバイスを受けながら、その手続きには2年ほどかかりました。土地の名義が亡くなられた遺族のままだったため、相続手続きを進めてもらう必要がありました。その間は、とにかく待つしかなかったんです。
有紗: 土地自体が人を試すような場所でしたね。水道や電気もなかったので、「本当にここに住む覚悟があるのか」と問いかけられている感じでした。試練が次々とやってきましたが、一つずつクリアしていきました。
─ 家を建てるための資金はどうされたんですか?
笑達: 家を建てる資金は、「フラット35」というフリーランスでも借りやすい住宅ローンを最終的には利用しましたが、接道の一部が私道だったため、銀行が融資を断る事態もありました。この状況をどう乗り越えるかも、一つの大きな課題でした。
有紗: 途中で、「これ、もう諦めるしかないのかな」と思う時もありました。
笑達: 地主さんのご家族も協力的で、いろいろな困難を一つ一つ乗り越えて審査が通り、無事にローンが組めることになりました。本当に奇跡的に道が開けた感じです。そこからは驚くほどスムーズに進みました。それまでの苦労が嘘のように。
有紗: 本当に、「土地に試されている」と感じましたね。なんとか2019年中に家が完成して、年末には引っ越しができました。
─ 移住までに数年かかったんですね。。。
笑達: はい。土地を見つけてから丸3年です。その間、いろんなことがありましたが、結果的にここにたどり着けてよかったと思っています。
有紗: 私達は少し特殊なケースかもしれませんね。でも、シンプルに田舎暮らしを望む人なら、もっと簡単に空き家や土地を手に入れられる方法もあると思います。紀美野町の場合は移住のお世話をしてくれる人もいたり、役場の協力もあったりで、思っていたよりも選択肢は多いですね。
笑達: 僕たちは最初から「自分たちがここだ!と確信できる土地に住みたい」という考えがあったので、その分ハードルを自ら上げてしまった部分もあります。それでも、最終的には「この土地に呼ばれている」という感覚で、ここに決めたんだと思います。
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移住直後のコロナ禍を支えた
補助金制度と地域のサポート
有紗: いまの家に引っ越したのが2019年12月末で、その翌月にはコロナが広がり始めました。最初は対岸の火事のように思っていたけれど、日本でも徐々に深刻になり、予定していた展示や仕事が全て延期に。
笑達: 半年ほど仕事が全てなくなり、収入もゼロに。でも、その期間がかえってこの土地との関係を深める時間になりました。家にいながら、じっくり土地と向き合い、自分の暮らしに根を張る感覚を得られたんです。
有紗: 時間ができたことで、この土地でしか体験できないこと、例えば滝壺に入ったり、自然の中で遊んだりといった新しい日々を楽しむようになった。京都ではできなかった体験が、この土地に住んだからこそ味わえたんです。
笑達: ただ、不安もありました。ローンを組んだ直後に収入がゼロになるのは怖かったけれど、補助金制度が非常に助けになりました。
─ その当時利用した補助金について詳しく教えてください。
有紗: 自宅を建てる時、土地と建物に約50万円ずつ補助金が出ました。
笑達: そう。移住関係の補助金で、5年以上地元を離れている人が戻ってくる、いわゆるUターンの人や新規の移住者が対象になる補助金で、土地代と家の建設費用の一部に充てました。詳しいことは、住民課の方に教えてもらったんです。
他にもいくつかあって、たとえば住民票を移して長期で住む約束をすることで100万円がもらえる補助金もありました。
─ 商工会などに相談されたことはありますか?
笑達: 商工会には何度も相談にいきました。特に自分のアトリエを作るときや、有紗のお店の補助金申請に役立ちました。商工会の方が事業計画書や文章の下書きを作ってくれて、僕らはそれを最終チェックして直すだけで済みました。
有紗: そうそう、すごく親身にアドバイスをもらえたよね。
笑達: 自分たちだけではわからないことも多かったですけど、商工会の方が「今こんな補助金がありますよ」と教えてくれたので、本当に助かりました。
有紗: 補助金の申請以外にも、決算の時なんかも相談に乗ってもらってました。「これ間違ってないですか?」みたいに確認できて、安心感がありました。
─ 事業計画書とか補助金申請の書類など、そういった書類の作成はやっぱり難しいですもんね。
笑達: 本当にそうです。苦手なことをサポートしてもらえるのはありがたいですね。経理や申告のやり方がわからないときにも、商工会に電話して相談してました。例えば「この経理の処理はどうしたらいいのか」といった疑問も聞けて、本当に助かりました。年会費は1万円程度ですが、手厚いサポートを考えたら十分価値がありますね。
※補助金の内容は活用した当時の情報を記載しており、変更となっている可能性があります。
現在の内容については、必ず管轄の商工会および行政等に確認をお願いします。
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土地の力をカタチに
自然豊かな拠点から広がる
創作の可能性
土地の力をカタチに
自然豊かな拠点から広がる創作の可能性
─ 紀美野町の方たちとは、どのような関わりがありますか?
笑達: 特定のコミュニティと特別親しくしているという付き合いはないですね。地区の総会や集まりには参加しますが、それくらいです。でも会えばみんな気さくだし、野菜や薪をわけてもらったり、とても良くしてもらっています。
有紗: 皆さんすごく優しいですよね。干渉しすぎることもなくて、適度な距離感で接してくれる感じがします。 田舎暮らしの現実で、干渉が強いとか、コミュニティに入らないと孤立するとか、そういう話を聞くこともありますが、 私たちの場合そういったストレスは全くないです。特別に干渉されることもないし、周りの人たちは本当に温かいです。「ちょうどよい距離感」が心地よいです。
─この「いろどり山」を拠点にして、今後どういう活動をしていきたいと考えていますか?
笑達: いま考えてることとしては、自分の描いた絵を世界中のいろんな国で展示して、いままで接点のなかったような人にも見てもらいたいですね。でも、やること自体は変わらなくて、この土地で感じたことを絵にする。それをいろんな場所で見てもらえたら最高だなと思っています。自分自身はこの土地にずっといたいんで。目下では、もっと大きなアトリエを建てたいという目標があります。今のアトリエだと物理的に限界があって。もっと大きな絵を描きたいです。
有紗: 私は、いつも具体的に「絶対こうする!」っていう目標みたいなのはあんまりなくて。ただ、時々ふっと未来が見えるようなイメージが湧くことがあります。でも、それもこの土地から受け取ったものを形にすることが中心なんです。 この場所の広がりや自然の大きさが、私達の作品にも影響を与えていて、京都にいた頃より物理的に大きな作品を作るようになりました 。基本的には今やりたいことを形にすることが幸せで、自然に近い場所での生活にすごく満たされています。静かで自然豊かなこの環境が心地よくて、これ以上の贅沢はない気がしますね。 いまは水辺にも興味があって、この土地を拠点にしながら自然と繋がり、そこから何かを受け取って形にしていきたいと思っています。
─ この家には長く住むつもりですか?
有紗: はい。もう一生住むつもりでこの家を建てました。二拠点という選択肢が出てきたとしても、ここから離れることはないと思います。
笑達: そうですね。紀美野町は僕の地元ですし、生まれ育った場所なので特別な思いがあります。これからもこの場所で、土地からのエネルギーを素直に受け取り、それをカタチにする時間を重ねていきたいです。それが続けられたら、僕たちはもう満足です。
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※記事の内容は2025年3月31日時点のものです
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笑達(SHOTATSU)/ 絵描き
1982年生まれ 和歌山県紀美野町出身
19歳から京都の路上で似顔絵を描き始め、18年間ひたすらに人とその縁に向き合う。
2020年、地元和歌山に移住。
土地に息づく風土や霊性に導かれ、絵画を描き始める。
web : https://syotatsu.jp/
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川井有紗(ARISA KAWAI)/ アーティスト
1982年生まれ 広島県広島市出身
現在は和歌山県紀美野町の山の上で豊かな自然の中で暮らし、活動中。
自然の中に有る美しさやエネルギーを感じるままに、身体を通して生み出す絵画、音楽など様々な表現で形にしている。